little my kittens

かざらない毎日の、きろく

想像力

ただショッピングモールを歩くだけで。
疲れたもう歩けないとだだをこねたら新しいおもちゃ。
アホか。

我慢することを覚える機会をなくした。
嫌だとわめけばおもちゃがもらえるという前例をつくった。
親は思い通りに動くと思うようになる。
特別な日や何かをがんばったご褒美の意味がなくなる。
また買えばいい、また貰えると、物を軽く扱うようになる。
努力しなくなる。

何かを成し遂げたり、がんばった対価として物をあげる事と、何の努力もしていないのに欲しいものをあげる事は180度意味が違う。ましてや、わがままやかんしゃくをおこしたらおもちゃを差し出すなんて、性格形成の悪影響以外の何者でもない。

このままこうやって与え続けたら、おもちゃを買うまで床に転がっ泣き叫ぶようになるのも時間の問題。自分の言うことを聞く人以外排除するような思考になってしまうかもしれない。忍耐力がなく短絡的に行動してしまうかもしれない。努力することを馬鹿にして、欲しいものを手に入れるために盗むこともするかもしれない。

100歩譲って今回みたいに情操面で悪い状況だとしても、渡すおもちゃが学習面で役に立つような知育玩具だったらまだ許せたけれど。

それはそれとして、おもちゃを与える事が悪いということではなくて、もう少し与える事の意味を考えてほしい。どのタイミングで、どう与えれば効果的になるのか。それによって本人は何を感じるのか。どんな人になってほしいのか。

今積み重ねている時間のひとつひとつが、将来一人で社会を生き抜く基礎になり、毎日の些細なやりとりがいつか振り返ってみると躾となっている。それが子供をつくり育てて行くということなんです。